スタッフ紹介
奥川敬太
こんにちは!
「ずいぶんしっかり丁寧に、見積・図面作っていますね」と言われる、奥川敬太(おくがわけいた)です。
「本物そっくりの図面だ。ここまでやってくれるんだ」と、お客さんが笑顔になることが、わたしのよろこびです。
そのために人が見ていないところでも、丁寧に仕事をすることを心がけています。
なぜ、わたしがこの仕事をしているのか、
その「想い」を聴いていただけますか?
自分が活躍できる場所がほしい!
毎日、休み時間になると、学校の校庭に走り出す。小学4年生のころから、休み時間にサッカーをやることが、わたしのなによりの楽しみ。
周りの友達がサッカークラブに入っていて、上手でした。友達の姿を見て、「かっこいいなぁ」と、うらやましかったのです。
「おれもうまくなりたい」
そう思って、小学5年のとき、わたしもサッカークラブに入りました。両親に、道具を全部買ってもらいました。うれしくて、うきうきして通いました。
入ってみると、本気のサッカークラブでした。練習が厳しくて、レギュラー争いも激しかったです。
最初、わたしは、初心者グループに分けられました。違う学校の知らない子ばかり。校外の子となじめませんでした。自分から声をかけられなかったのです。
コーチから、声をかけてもらうこともなかったです。親しい子いない。「なんか、寂しいなぁ」と思いました。次第に、今まで、サッカーを楽しくやっていたのが、楽しくなくなりました。
「いやだなぁ。行きたくないなぁ。合わないなぁ」と思うようになり、途中から行かなくなりました。自分から言えず、親からやめると言ってもらいました。
中学校の時は、 卓球部に入りました。サッカー部がなかったのです。あとで知りましたが、父も中学のとき卓球部だったのです。
小学校の同級生で、今同じ会社の奥田くんの家によく遊びに行っていました。
奥田くんの家にある卓球台で卓球をやっていたんです。それが楽しくて卓球部に入りました。
母方の祖父が、卓球台を買ってくれました。すごく嬉しかったです。母から「中途半端にやらずに、ちゃんとやりなさいよ」と言われました。
中学2年生の秋に、卓球部のキャプテンを任されました。「奥川が、一番チームの雰囲気を盛り上げられる」と先生から言われたのです。正直「僕でいいのかな」と心配でした。
卓球は、うまくなっていくことがなにより楽しかったです。先輩もいい人で、恵まれていたので、楽しい部活を送れることができました。その甲斐あって、中学3年生のとき、松阪市ベスト8に入ることができました。
センターコートで試合ができるので、みんなに注目を浴びて、気持ちよかったです。「自分もできる!」と自信が持てるようになりました。
ベスト8の試合では、点数も取れず、全然歯が立ちませんでした。ただ、不思議と、悔しい気持ちはなかったです。これ以上うまくなるのは難しい。「無理だな」と思いました。うまい人は、小さいときからやっている。それには叶わないな、とあきらめてしまったのです。
高校に入ると、いろいろ悩んだ末に、テニス部に入ることにしました。テニスに可能性をかけてみようと思ったのです。「卓球で食べていくわけではないし」、「これ以上うまくなるわけではないし」と、中学で卓球には冷めてしまったからです。
テニス部は、外のコートで練習します。天候に左右されるので、練習ができないときもありました。そういうときは、ひたすら筋トレ。とくに1年生は、筋トレばかり。
「なんか楽しくないなぁ」
だんだん、面白くなくないなと思うようになりました。そんな時に、中学の時知り合った他校の友人から、「なんで卓球やらんの?」と言われました。卓球の誘いがあって、練習に参加したら、楽しかったのです。卓球部にうまい子がいたので、この子らと一緒に練習したら、うまくなるかもと思いました。
そこで、テニス部は、1年の途中、3か月で辞めてしまいました。
卓球部に入ってみると、高校レベルになると上手い人が多いのです。中学の時は学校では一番でしたが、レベルが全然違いました。そういう子と一緒に練習することで、刺激がありました。
卓球部では6番手でした。試合に出るより、どちらかというと練習の方が楽しいと思うようになりました。練習のときの方が、うまくできている実感があったのです。大会になっても、いつも試合に出れるわけではないので、楽しくなくなってきました。
そのため、どこか卓球に無我夢中で熱中できませんでした。どこか冷めたところあったのです。
レギュラーでもないので、試合に出なくなりました。高校2年生の後半からは、「まぁ、いいか」という気持ちになり、練習もサボリがちになりました。次第に、一生懸命練習してうまくなるぞという気持ちが薄れていったのです。
振り返ってみると、心の奥底で、いつも、「自分が活躍できる場所が欲しい!」と思っていたように思います。でも、なにか自信がないと、あきらめてしまう、そんな弱さがありました。「自分も活躍したい!」という根底の欲求とあきらめの間で、揺れ動いていたのが、少年時代だったなと、恥ずかしながら思います。
自分は何もできない・・・
中学2年生のとき、卓球部のキャプテンになると、どうしていいのかわからなかったです。「最終的な責任は僕にあるのかな…」と思って不安でした。
キャプテンとして、どうしたらいいのか分からず、同級生や後輩を前にして、上手く立ち回れませんでした。「どうしたらいいんだろう…」と自分のことばかり考えていました。
中学3年生になると、先輩が卒業してしまうと誰にも頼れなくなりました。同級生2人は毎日部活に来ていなかったので、相談できなかったんです。
どうしたらいいかわからず、先生に「後輩がいうことを聞いてくれない。どうしたらいいですか?」と相談しました。すると、先生から「もうちょっと周りを見ろ!」と怒られました。
先生から、「こうしろ!」という指示が欲しかったけど、なかったので、不安しかなかったのです。やって失敗するより、失敗しないように、どうしたらいいか正解を教えてほしかったのです。
なんとか「自分はキャプテンだから」と思うようにして、全体を見るようになりました。それでも、部員隅々まで見れていませんでした。辞めていく子もいたんです。
キャプテンとしての自覚が薄くて、先輩に聞いた意見を鵜呑みにして指示していました。自分の考えが無かったんです。また、自分が思ったことをすることに自信がなかったのです。
中学3年、最後の大会に向けて練習しているころ、先生から「勝っても負けても終わりやし、次のキャプテン、だれがいいと思う?」と聞かれました。
それから、次のキャプテンだれがいいか?ということ考え始めたのです。
上手いだけではだめだ。
みんなとコミュニケーション取れている子がいいな。
同級生に声をかけたり、下級生に指導したりしている子がいい。
そんなことを考えていたら、3人くらい候補が絞られました。それから、3人の子を重点的に見るようになったのです。
そうすると、次に、1年生や2年生のために自分で何かできないかと考えるようになったのです。そうやって、少しずつ、後輩に意識を向けられるようになりました。
最初、入ったばかりの1年生は、先輩の言うことをなかなか聞かずに騒いだりしていました。正直、どう対応していいかわからなかったです。それで、「ちゃんと、やれ!」と言っていました。1年生は、不満そうな顔をして言うことをなかなか聞いてくれませんでした。
ところが、後輩に意識が向くようになって、こう考えるようになったのです。
「ちょっと前まで、小学生の子に怒ってもしょうがないよな」
そうすると、1年生の気持ちが手に取るようにわかってきたんです。小学生から中学生になったばかり。遊びたい盛りだから、学校生活の中で部活動を大切にすることまで考えられないだろうなと。
そこで、「まずクラブとは?」ということを1年生に伝えました。技術面でも、メンタルの面でも、1年生や2年生の気持ちに立って、教えることに専念するようにしました。
それが良かったんです。後輩たちも、わたしの言うことを聞いてくれるようになりました。部活動に集中してくれるようになりました。ちょっとずつではありますが、技術面も上達していきました。
次のキャプテンも、わたしが3人候補を上げて、「その中で、Nくんがいいと思っています」と先生に伝えました。
先生は、「そうか、そうか」と納得してくれました。最終的に、わたしが推薦したNくんになりました
このような経験があり、「これがキャプテンとしてやることなのか」と感じるようになりました。自分に自信が持てるようになったのです。
自分のことばかり考えずに、もう少し早く後輩の気持ちをわかるようにしたらなぁ、と後悔しています。自分に自信がなかったので、先生や先輩に求めていました。もう少し早く自分から行動していたらなぁ、自発的でいたらなぁ、と後悔しています。
なぜ、わたしはこの仕事をしているのか?
当時働いていた会社は、広告の会社でした。全国に支店があるような大きな会社でした。
最初は、仕事に熱中していたんです。だんだん契約が取れなくなっていきました。「自分が社長だったら…」と考えたら、自分だったら買わない。売っている商品に魅力を感じなかったのです。そのため、熱意がなくなっていきました。
そんなとき、偶然、小学校の同級生だった奥田くんに会ったのです。奥田くんから、最初「うちの会社にくる?」と声をかけてもらったんです。
何回か奥田くんと会って話しているうちに、「これまでしてきたのと職種が違うけど、やってみたいな」と思うようになりました。
転職の決め手は、初めて携わる業界だったことです。「初めてのことをやってみたい」という興味がわいてきたんです。もう一度、新たな場所で、まっさらな気持ちで、挑戦したいと思ったのです。
ちょうど、仕事にかける情熱や意識が薄れていた時期だったので、同級生の奥田くんにお願いすることにしました。
入社しても、1年くらいは、仕事に自信が持てませんでした。自信がない、という気持ちが変わったのは、入社して1年過ぎたころからです。自分からお客さんにも会社の人にも意見を言うようになったからです。
わたしが、なにか言いたい感じなのを、奥田くんが察知して、このように言ってくれました。
「これから会社の土台を作るので、どんなことでもいいので、意見言ってな?」
この奥田くんの一言で、「言ってもいいんだ」と、許可された気持ちになりました。
そのうちに、わたしが言ったことが採用されるようになりました。こうして、思ったこと言ってもいい、いや、思ったことを言うようにしよう、と考えるようになったのです。
仕事の中で、お客さんと接する時に気を付けていることがあります。「思っていること、どんな小さなことでも教えていただけますか?」と聞くようにすることです。
お客さんには、「なんでも遠慮なく言ってくださいね」と言ってます。心の中で思っているのに、口に出さないことは、とてもストレスになるからです。口に出さないと、迷いが出てきて、自分がやりたいことに対して、自信がなくなってくるからです。
また、わたしは、お客さんの不満を聞きに行くことが多いんです。そんなとき、お客さんの心の中の不満や考えていることを丁寧に聞くように心がけています。お客さんの置かれている状況をよく聞いて、受け止めるようにしています。
不満やクレームに対しては、まず誠意をもって謝って、お客さんが話すことをすべて肯定します。お客さんの言うことを、トコトン受け止めたいと思って接すると、不満を収めてもらえる時があります。会社には、そういう役割も必要だと思っています。
クレームの場合も、「思っていることを、全部吐き出してくださいね」そのような気持ちで、望んでいます。
中学のとき、キャプテンをして、「どうしよう…」と悩んだ経験がとても生きていると感じています。人の立場を考え、手に取るようにわかるまで、お客さんのことを受けとめる必要性。中学のときに、教えてもらいました。
そして、「活躍できる場所が欲しい!」と心の中で思っていても、あきらめてしまった小学校から高校までの後悔の経験が、とても大きいです。あきらめず、口に出すことで、受け止めてくれる人がいる。口に出すことで、自分自身を勇気づける。そのことを今実感しています。
わたしの仕事は、営業ではないので、お客さんの前面に立って商談することはありません。営業から話を聞いた上で、図面を描いたり見積を作ることがメインの仕事です。
その中で、わたしが意識しているところは、図面を描く前に、お客さんがどういう風に考えているか、知ろうとします。直接、商談するわけではないので、隣の部屋で商談をしているときがあれば、話を聞くようにしています。また、営業に、お客さんがどんな想いでいるのか、詳しく聞くようにしています。
営業とお客さんの会話から、お客さんの気持ちを考える。自分が自発的に言いたいことを言ってこなかったから、人の気持ちを考えるようになったのかもしれません。
隣の部屋で話を聞いていたら、ご年配のお客さんがこのように話していました。
「見積の図面がしっかりしている」
「この立体図面、本物そっくりやなぁ」
「これで死ぬまで、安心してこの家で過ごせるわね」
また、ある時は、現場調査に行って、お客さんから「時間かけてくれてありがとう」と言われました。
このように言われると、とても嬉しいです。この仕事をやっていて、本当によかったと思いました。
これからも、お客さんが見ていないところでも、お客さんを意識して、どうしたら喜んでもらえるかを考えていきます。
最後に、
わたしからのこの仕事にかける一番の想いです。
常にお客さんの気持ちを意識することで、喜んでもらえる仕事をします。
そして、お客さんに喜んでもらうことで、今、心から喜べる自分になります。
社員もお客さんも、みんなが楽しく、お互いを高めあえる環境を作りたいと思っています。