スタッフ紹介
堀江卓也
・年齢:32歳
・家族構成:妻と子ども(2歳)、 近々二人目予定^^)/
・出身地:津市白塚町
・趣味:釣り (みんなでワイワイやりながらブラックバス
を釣るのが楽しい!)
・特技:どんな子どもにも好かれる(とにかく、子どもが
好きなんです!)
なぜ、わたしがこの仕事をしているのか、
その「想い」を聴いていただけますか?
友達とずっと遊んどる、遊び時間みたいな感覚ですね
小学4年生から、サッカーをやってました。 クラブチームです。
僕たちの年は、過去最高の成績でした。ちょうど小学校6年のときですね。
もともとは、サッカーにあんまり興味はなかったんです。でも、幼なじみの子がサッカーをやってたんです。
学校の休み時間とかに、みんなでサッカーをやったりするじゃないですか。僕、結構足が早い方だったんですよ。
それで、幼なじみが、「サッカーに向いとるんちゃうか」ということで、「一回ちょっと入ってみぃ!」と言われて。
それが、サッカーチームに入るきっかけですね。
ポジションはフォワード 、足が速やかったので。レギュラーは5年生からですね。
サッカーは楽しかったです。 体を動かすことが昔から好きなんで。
あと、幼なじみ以外にも他の友達がそこにいたことも、楽しかった理由ですね。友だちとずっと遊んどる感覚。ずっと遊び時間みたいな感覚ですね。
中学校は、 1年生の時はサッカー部だったんです。それから、ちょっと道をそれたというか、ちょっと悪さをしてしまった時代があって。それからサッカーはやってないです。
中学校は、悪い友達といっぱい遊んでましたね(笑)。1年生の2学期ぐらいからですかね。
警察とかに捕まるようなことじゃないんですけど。夜家から出て、みんなでコンビニで喋っとるだけとか。ただひたすら自転車で、遠くのゲームセンターまで行ってとか。そういう遊びです。
幼なじみの子は、本当に勉強が嫌いで、小学校の頃からあんまり学校に来なかったんですよ。サッカーだけやりに来る。中学校になっても学校にはあんまり来なくて。
だから、幼なじみは、サッカー部に入部もしなかったですね。 中学校には、ほぼ来ていなかったです。
仲がよかったので、夜、その子の家に行って、一緒にゲームをしたりしていました。
幼なじみは、とにかく勉強が嫌いで、「じっとしとんのも嫌やった」と言ってました。 不登校の、遊び大好きな子って感じですね(笑)。
なんで、自分だけこうなんやろ・・・
小学校6年生の時、運動会で負けたときが悔しかったです。運動会の徒競走で。5年間連続でずっと1位やったのに。
普通に負けたんやったら納得がいくんですけど、相手がこすいことをして負けたんですよ。トラックの内側を、線が引いてある内側に入ってきて抜かされたんですよ。
入ったらだめじゃないですか。でもそれは誰も気づいてなくて、小学生なんで誰も見てないと思うんですけど。先生達は見てなくて、それでかなり悔しかった思いはしましたね。
そのときは、相手に対して、「こんな勝ち方して嬉しいんかな」と思いましたね。それについて、僕は一切何も言わなかったですけど。
その子は一等賞をとると、お母さんにゲームを買ってもらえるという約束をしちょったといのを、知っていたんですよ。どうしても 一等賞がとりたかったんでしょうね(笑)。そこまでしてでも。
つらかったことは、 お母さんがいなかったことです。小学校2年の時からいなくなりました。学校から帰ったら、突然おらんくなって。
今は理由も全部聞きましたけど。その時は何の感情もないですね。「お母さんが、いなくなっとんなー」ぐらいしか。
理由が分かったのが小学校3年の時。でも、ほんまに寂しかったのは、運動会とか授業参観。それ以外は兄貴がおったんで、わいわいとやってたので。
小学校の時は、運動会とかは、みんな両親が来て一緒にご飯を食べたりするじゃないですか。僕はああいうのがなかったんで。 常に先生といっしょに食べとるという。
お父さんは仕事で来ない。幼なじみの子も母子家庭だったんです。でも、その子は、運動会すら学校に来なかったんで、その子とも一緒にたべることは無かったです。
小学校の運動会の時、寂しかったのが大きいですかね。
運動会や授業参観のときだけは、「なんで、自分だけこうなんやろ…」
と、強く思いましたから。
なぜ、あたしはこの仕事をしているのか?
中学を卒業して就職しました。僕のお父さんが土木関係の鉄筋屋さんをやっていました。そこに就職しました。
母親がいなくて、ちょっと特殊な家庭環境だったので、中学校の時から夏休みとかは、お父さんの会社でバイトをしなくちゃいけなかったんですよ。「携帯とかのお金を払うんやったら、バイトして払え」と。
それで、お父さんの会社にそのまま入社しました。
1年くらいそこで働きました。そのあと、先輩と一緒に仕事をするってなったんです。ところが、その先輩がやめるといい出して、仕事がなくなったときもありました。
21歳のときに、塗装工事の会社に入りました。そこで4年くらい働きました。その会社が、がんがん仕事取ってこい!という会社で。社員にもつらくあたるし、しんどかったです。
それだったら、自分でやろう!と25歳のときに、塗装工事の親方となりました。今年で、7年経ちました。
25歳のときに、先輩の塗装の親方から紹介してもらい、パワープロ住健の中原さんと出会いました。それから、中原さんに信用していただき、今も仕事をさせていただいています。
母がいなくなってから、人のことよく考えるようになりましたよね。自分がこうされたらどう思うとか、僕は常に考えるようにはしています。 お客さんにも職人にも、寂しい思いをしてほしくないから。
それは、どこの親方にも負けないくらい、その気持ちはあるんじゃないですかね。
職人には、やっぱり責任感というのを常に持たせてます。1人がミスすると、お客さん、元請さん、みんなの失敗になるんで。常に一人の行動が 、みんなに繋がるんで。
結構、みんな綺麗事ばかり言うとんなーと、言う人もいますけどね。でも、それを貫き通したらいいだけのことなんで。ブレずに。
お客さんに対して心がけていることは、極力元気よく挨拶することです。挨拶は礼儀ですしね。
あと、お客さんが質問しやすいように、接するようにしています。「仕事の邪魔をしたらあかんかな?」とか、絶対、僕が逆やったら、思ってしまうんですよね。「今、これ質問していいことなんかな?」とか。
そういうことを、極力思わせないように 、しょっちゅうお客さんの顔を見たら、すぐ声かけます。
「こんにちは ~、今お帰りですか?」とか。帰り際には「何か気になることとかはありませんか?」と絶対聞いてますし。「どんなことでもいいんで、聞いてくださいね 」と。
お客さんから言われて嬉しかったことは、 まずすぐパンって思い出したことは、名前を覚えとってもらったことです。まず、そこが結構意外でした。
「堀江さーん、ちょっといい?」って言われたときは 、「あれ?名前覚えてくれてるな」っいうのありました。
普通「すいません、ちょっといいですか?」とか、「職人さん、ちょっといい かな?」とか、じゃないですか?
それが、名前を覚えていてくれる。自分なりに、お客さんとそれだけの関係性が築けてるんだなっていう感じです。
結構、褒められたら何言われても嬉しいですけど、「若いのによくやってるなあ」とか、言われたときは、嬉しいですね。
中原さんの会社は、社員の人が、中原さんのことを、すごく尊敬している感じが伝わるんですね。そういう人を尊敬する姿勢を、うちの若い職人にも見てもらい、刺激になったらいいなぁと思ってます。
塗装工って、けっこう大雑把な人が多いんですよ(笑)、でも、中原さんは、仕事をかなり丁寧にされる方なので、うちの若い職人も自然と丁寧な仕事ができるようになったことはありがたいですね。
あと、わたしが、中原さんに「こういう工事内容だと、ちょっとお金がかかるんですけど」というと、「そうなんだ。わかった」と話をよく聞いてくれるんですね。こういういい関係の会社は、ほかには知らないですね。
一番うれしかったのは、あるとき、「堀江くんがおらんくなったら、困るなぁ」と中原さんが言ってくれたときです。そこまで信頼してくれているんだと思うと、とてもうれしくなりました。
最後に、
わたしからのこの仕事にかける一番の想いです。
中原さんの会社やお客さんとともに、家族的なあったかさで、ファミリーのような感じで仕事をしていきたいです。